翻訳|epidemic
古くは多く「やくびょう」か。
流行病ともいう。ヒトからヒトへつぎつぎに広がり,集団発生する病気をいう。病原微生物も治療法もわからなかった近年まで人々にたいへん恐れられた。比較的限られた地方に患者が限局するときを小流行,全国的規模で患者が発生したときを大流行,世界的規模で患者が発生したときを汎流行という。最近の汎流行の例として,1957年に発生したA2型インフルエンザ(アジア風邪)がある。患者または保菌者,または保菌動物が病原微生物を体外に排出し,これに直接接触するか,または食器,玩具などを介して間接的に接触したり,飛沫によったり,飲食物を介して経口的に,また傷口を通して伝播していく。さらに,カやハエ,ダニなどの節足動物を介して伝播することも少なくない。そして抵抗力(免疫,遺伝,栄養状態など)の弱い人が病気となる。近年,抗生物質の開発などにより大きな流行は少なくなったが,現在,日本では猩紅(しようこう)熱,インフルエンザ(集団風邪),麻疹(はしか),風疹,流行性耳下腺炎(おたふく風邪)などの流行がみられる。しかし,これらについても治療法や予防法(ワクチン接種)が確立されつつある。
執筆者:藤森 一平
疫病は日本語では《古事記》や《日本書紀》には病,疫疾,疫気などと書かれ,エヤミ,エノヤマイ,トキノケなどと読み,鎌倉時代から江戸時代にかけては疫癘,時疫,ハヤリモノ,ハヤリヤマイなどと呼ばれていた。英語のエピデミックはギリシア語のエピデモスepidēmos(〈民衆の上に〉の意)から出た言葉である。
人類の歴史が始まってこのかた,人間の命を奪った最大の原因となったのは疫病であり,戦争や天災による死因をはるかに上まわる。したがって人間の歴史に与えた疫病の役割はきわめて大きい。文明時代に入って以後の人間の歴史にとりわけ深いつめあとを残した疫病としては,ペスト,マラリア,痘瘡,麻疹,発疹チフス,腸チフス,赤痢,コレラ,インフルエンザなどの急性伝染病,癩(らい)(ハンセン病),結核などの慢性伝染病,それに性病の梅毒などがあげられる。これらの大部分は,もとはある限定された土地の地方病(風土病)であったが,文明・文化の発展・交流により,人が動き,物が動くにともない,他の地域へと伝播し,世界的流行となったものである。文明はつねに疫病と抱合せであり,文明伝播のコースはまた疫病伝播のコースとも重なり合う。シルクロードはペストロードであり,〈ローマの道〉はマラリアの道でもあった。歴史世界で長く文明をリードしてきたヨーロッパに例をとると,13世紀の癩,14世紀のペスト,16世紀の梅毒,17~18世紀の痘瘡,発疹チフス,19世紀のコレラ,結核,20世紀のインフルエンザというように,それぞれの時代の社会なり文明なりは,それ特有の疫病をもっており,その疫病はその文明の変革,社会の改革によって消滅していくが,次の時代には別の疫病が出現していくことがわかる。また疫病は戦争・天災・貧困と深い相関関係をもっているが,中世末期とペスト,ルネサンスと梅毒,産業革命と結核,近代化とコレラのように,時代の激動期,社会の変改期に新しい疫病が出現・流行するという歴史的因果関係をもっているといえる。こうして文明は疫病をつくり,また疫病は文明を変え,動かしていく。古代のギリシアやローマを滅ぼした一因はマラリアであった。中世末期ヨーロッパを襲ったペストは近代を開く陣痛となり,発疹チフスはナポレオンをロシアから敗退させる一因となった。その後のたび重なる戦争では軍隊が極微のコレラ菌や赤痢菌のために壊滅した例も知られ,また結核や梅毒は近代思想,さらには文学・美術などに深い影を落としてきた。
疫病の病理が明らかになるのは,細菌学が成立した19世紀後半のことであり,一般の人々の常識になるのは最近のことである。それまでの長い間は,疫病は神罰であるとか,疫神(厄病神)という超自然的なものがはやらせるなどと考えられ,疫神をまつる民俗・風習が各地に根強く広がっていた。
執筆者:立川 昭二
卵菌類のPhytophthora属菌の寄生によって起こる病害で,植物に水浸状の病斑を生じ,病状が進むとべとべとに腐って枯れる病気。最も有名な疫病はジャガイモ疫病である。この病気の記録は古く,19世紀アイルランドにジャガイモの大凶作をもたらしたことはよく知られる。葉の縁ににじんだような暗紫色の斑点ができ,梅雨期には急激に拡大して,ひどいときは数日で畑全面が枯れ上がる。葉を裏返すと,病斑を囲むようにして毛状の白いカビが生えているが,これは胞子囊柄と遊走子囊である。この中に形成された遊走子は,土や植物表面の水滴や水の被膜の中を泳いでいって健全な植物を侵す。翌年の発生の源となるのは病気にかかったいも(塊茎)が多い。まんえんが心配されるときは銅剤を散布すると効果がある。近年ハウス栽培のトマトにも疫病の被害が多くなっている。
執筆者:寺中 理明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
かなり広い地域に集団的に発生、伝播(でんぱ)する急性伝染病をいい、全身的な症状を示して急性な経過をとる。現在では流行病とよばれることが多い。
[井之口章次]
疫病をはやらせるのは、疫神(疫病神(えきびょうがみ)、疫神(えやみのかみ)ともいう)という霊的なものが、よそからやってくるもののように昔は考えられていた。したがって疫病を除くためには、疫神に対処する方法が考えられた。それには大別して、(1)村境に注連縄(しめなわ)などを張るもの、(2)疫病の源を藁(わら)人形その他の形代(かたしろ)につけて、それを村から外へ送り出し、また海や川へ流し捨てる形、(3)疫神をなだめ祀(まつ)り、予防しようとするものなどがあり、このうち(2)の送り流す形式がもっとも一般的である。
まず(1)の形式には、近村に疫病が流行すると、村境に御札(おふだ)を立てたり注連縄を張ったりして、わが村に悪霊の入ってこないようにする形と、村内に流行病が発生し、(2)のようにして疫病をよそへ送り出したのち、ふたたび戻ってこないように注連縄を張るものとがある。また疫病締め出しの呪法(じゅほう)は、村なり集落なりが共同して行い、共同祈願の形式をとるのが一般であるが、ときには個人呪術として、各家で自家の軒先や門口だけに、疫病を締め出すための設備をすることもある。高知県の山村では、集落境に3~4尺(約90~120センチメートル)のつくりかけの大草履(ぞうり)の片方だけをつるす所があり、この集落にはこんな大草履を履く巨人がいるぞと脅かすのだと説明している。茨城県の一部では、かぜの流行したとき、箸(はし)に綿を巻いたものと唐辛子(とうがらし)と一厘銭とを篠竹(しのだけ)に結び付けて三叉路(さんさろ)に立てた。大阪府泉南郡の一部には、鰶(このしろ)を5尾ほど村の入口の道に埋める所もある。江戸時代の紀行文に、秋田県山本郡の一部で、疱瘡(ほうそう)よけのために、大藁沓(わらぐつ)を軒にかけ、「軽部安右衛門(やすえもん)宿」と書いた札を挿した家があったという。
(2)の形式は全国に広く分布しており、藁人形を担いで鉦(かね)太鼓を鳴らしながら村中を歩き、これを村境で焼き捨てるとか、藁船をこしらえて海へ流し捨てるものであり、虫送りなどの形式に似ている。このとき鉄砲を撃つ所もある。個人祈願でも同様のことを小規模に行っているが、種痘が行われるようになっても疱瘡送りの形が継承され、種痘後12日目などに、桟俵(さんだわら)に赤飯と赤い御幣(ごへい)をつけ、辻(つじ)に捨ててくる風習が広く行われている。
(3)の形式としては、年の暮れか正月に祀る例が多く、たとえば香川県の小豆(しょうど)島では、大晦日(おおみそか)に近くの四つ辻から厄病神を迎えてきて、正月三が日は土間の片隅で疱瘡神と風邪の神を祀り、「常の日にはけっしておいでくださいますな」などといって、3日には元の場所へ送り出す所作をしている。
[井之口章次]
植物の病気で、鞭毛(べんもう)菌類(カビの一種)に属するフィトフトラPhytophthora属の菌の寄生によって、葉、茎、果実が急速に褐色になって軟化腐敗する。日本では同属に約20種が知られており、代表的なものとしてインフェスタンスP. infestansによるジャガイモ、トマトの疫病、ニコチアナエP. nicotianaeおよびカプシキP. capsiciによるタバコ、ウリ類、トウガラシの疫病、カクトルムP. cactorumによるナシ、リンゴ、ビワなどの疫病などがある。ジャガイモ疫病は日本だけでなく世界各地でもっとも重要な病気にあげられている。とくにヨーロッパでは1842年以来数年にわたり大発生して大きな被害を与え、食糧飢饉(ききん)をおこした記録がある。
雨の多いときに発生が多く、いったん発生すると急速に広がる。柑橘(かんきつ)類やリンゴの疫病は地際(じぎわ)部の幹が侵され、やがて木全体が枯れる。伝染は、病気にかかった部分(病斑(びょうはん))につくられるレモン状の特徴のある形をした大きさ約50マイクロメートルの分生胞子(遊走子嚢(ゆうそうしのう))が発芽して遊走子を放出して行われる。
防除は、抵抗性品種(病気に強い品種)を栽培し、畑の排水をよくするほか、TPN剤(「ダコニール」)、マンゼブ剤(「ジマンダイセン」)、メタラキシル剤(「リドミル」)などの薬剤を散布して防ぐ。
[梶原敏宏]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…昔から〈はやり病(やまい)〉〈疫病〉として人から恐れられてきた病気のことで,病原微生物の感染によって発病する。日本では,感染と伝染の区別があいまいで,この二つは同義語のように用いられることが多いが,感染infectionとは病原微生物が生体に侵入して増殖し,生体に害を与える場合(この病的異常状態が感染症infectious disease)をいい,伝染とは感染症の経過中,感染生体から分泌物や排出物とともに病原体が出て,それが接触または媒介によって他の生体を感染させる場合をいう。…
…かつては各種のビタミン欠乏症が,全世界的に風土病的疾病をひき起こしていた。【川口 啓明】
[疫病と風土病]
疫病(エピデミック)は,もともとは地球上のある地域に限局して流行していた風土病(エンデミック)である。癩,マラリア,ペスト,天然痘(痘瘡),はしか(麻疹),発疹チフス,コレラなど世界史につめあとを残した疫病も,それぞれの原発地があり,そこで小流行を繰り返していたのが,文明の発展あるいは文化の交流につれて,世界的流行(パンデミー)となったものである。…
…疫病や災厄をもたらすという神。行疫神,疫病神,疱瘡神なども同種の神である。…
※「疫病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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