上勝間村(読み)かみかつまむら

日本歴史地名大系 「上勝間村」の解説

上勝間村
かみかつまむら

[現在地名]高瀬町上勝間

北西に流れる高瀬川の中流域右岸、大麻おおさ山系の麓に位置する。万治年間(一六五八―六一)勝間村が上下に分村して成立したといわれる(西讃府志)。勝間村は古代の三野みの郡勝間郷(和名抄)の遺称地。のち、成立時期は不明であるが、一帯に京都仁和寺法金剛院領の勝間庄が成立。仁和寺宮の旧記を抄出した天文二年(一五三三)の法金剛院領目録案(法金剛院文書)には田三一町九段とある。享徳三年(一四五四)一二月二一日の足利義政御教書案(八坂神社文書)によると同院法華堂領であったが、領家職は以前に在地の有力土豪近藤氏が補任されていて、同御教書で安堵されている。なお来田文書の天文一四年七月日以下の伊勢神宮の道者職売券には「かつまの里」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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