日本歴史地名大系 「上土支田村」の解説 上土支田村かみどしだむら 東京都:練馬区上土支田村[現在地名]練馬区東大泉(ひがしおおいずみ)一―七丁目・土支田三丁目・三原台(みはらだい)一―三丁目・大泉町(おおいずみまち)二丁目など土支田村が江戸時代中頃に上下に二分された村で、土支田村上組ともいう。下土支田村の西、白子(しらこ)川南岸に位置し、中央を東西に清戸(きよと)村(現清瀬市)に至る道(清戸道)が通る。天保一二年(一八四一)の名主は金次郎、安政―慶応期(一八五四―六八)は綱五郎(練馬区史)。鷹場組合は野方(のがた)領七七ヵ村組合に属し、勤高七五八石余(「御用留」中茎家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by