練馬区(読み)ネリマク

デジタル大辞泉 「練馬区」の意味・読み・例文・類語

ねりま‐く【練馬区】

練馬

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日本歴史地名大系 「練馬区」の解説

練馬区
ねりまく

面積:四八・一六平方キロ

東京二三区の北西部に位置し、北は埼玉県和光市・朝霞市・新座にいざ市、東は板橋区・豊島区、西は西東京市、南は中野区・杉並区・武蔵野市に接する。鉄道は西武鉄道池袋線・同豊島線・同新宿線・同有楽町線、営団地下鉄有楽町線、都営地下鉄大江戸線が通る。おもな道路は環状七号・同八号(主要地方道)、国道二五四号(川越街道)、目白通(主要地方道千代田―練馬―田無線)千川せんかわ(都道椎名町―上石神井線)新青梅しんおうめ街道(都道杉並―田無線)などがあり、区域北西部には関越自動車道の練馬および大泉おおいずみインターチェンジがある。区域は平坦な武蔵野台地上にあり、古くから畑作中心の農業が営まれてきたが、関東大震災と第二次世界大戦を機に急速に開発が進み、都心のベッドタウンとして人口が急増し、現在は住宅・商業地域となっている。近世には武蔵国豊島郡のほか、一部が新座にいくら郡・多摩郡に属した。

〔原始・古代〕

遺跡は石神井しやくじい川と白子しらこ川、神田川水系の中新井なかあらい川両岸に分布する。旧石器時代・縄文時代の遺跡が多く、各河川流域で大半を占める。旧石器時代ではナイフ形石器の型式変遷を明らかにした白子川流域の比丘尼橋びくにばし遺跡や、立川ロームX層まで六時期もの文化層が確認された石神井川流域の東早淵ひがしはやぷち遺跡などがある。縄文時代では早期から後期の集落が重複している遺跡が多い。とくに湧水地を囲む台地上に大規模な集落が形成されており、西東京市下野谷したのや遺跡と連続する富士見池ふじみいけ遺跡群や石神井公園三宝寺さんぼうじ池周辺の池淵いけぶち遺跡などがその代表である。勝坂・加曾利E式土器の文化圏であるが、曾利系や阿玉台式土器などが川北かわきた遺跡などで出土しており、南関東中期後半の土器文化圏を考えるうえで重要である。弥生時代以降の遺跡は少ないが、方形周溝墓から鉄剣、旧白子川河道から段梯子や加工途中の農耕具が出土した丸山東まるやまひがし遺跡などがあり、木工集団の存在が推定される。古墳は確認されていないが、古墳時代後期の集落として馬具が出土した栗原くりはら遺跡などがある。律令制下では区域の大部分は豊島郡に属し、広岡ひろおか(和名抄)に含まれていたと推定されている。「続日本紀」神護景雲二年(七六八)三月一日条にみえる武蔵あまぬま駅を「のりぬま」と読み、これが訛って「ねりま」になったとする説がある。

〔中世〕

区域には石神井郷・練馬郷・白子郷があった。南北朝期以降、豊島郡域は石神井川をさかのぼって勢力を張った豊島氏領となった。文明九年(一四七七)一月豊島氏は練馬城と石神井城を築いたが、同年四月勘解由左衛門・平右衛門兄弟が長尾景春に加担したため、太田道灌に攻撃されて落城、豊島氏は滅亡した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「練馬区」の意味・わかりやすい解説

練馬〔区〕
ねりま

東京都 23特別区の一つ。 1947年板橋区の一部が分離独立して成立。北西は埼玉県に接する。武蔵野台地にあり,石神井川が西から東に貫流,流域に富士見池,三宝寺池,石神井池の湧水池があり,緑地を形成。北西部を白子川が流れる。中央部を西武鉄道池袋線,南部を西武鉄道新宿線や青梅街道が通り,沿線は第2次世界大戦後住宅地化が急激に進行。陸軍の成増飛行場跡地は,現在大規模な光が丘団地光が丘公園となっている。 1991年,都営地下鉄 12号線 (現大江戸線) が練馬-光が丘間に開通。かつては練馬大根の産地で,たくあん漬でも知られたが,現在は西部の台地で野菜栽培の近郊農業がわずかに残る程度である。石神井公園,武蔵関公園,としまえんなどのレクリエーション地がある。練馬白山神社の大ケヤキ,石神井台の三宝寺池沼沢植物群落は天然記念物。東京地下鉄有楽町線,国道 254号線が通り,関越自動車道と東京外環自動車道が大泉ジャンクションで接続。面積 48.08km2。人口 75万2608(2020)。

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