朝日日本歴史人物事典 「上坂忠七郎」の解説
上坂忠七郎
生年:天保10.9.10(1839.10.16)
幕末から大正期の漆業者。越前国(福井県)今立郡朽飯村の人。幼名貞助,襲名して忠七郎を名乗る。若くして父と水戸藩で漆業に従事,東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会(1877)で「品質精良,製出夥多」として表彰された。明治中期には毎年数百人の漆掻職人を関東・東北一円へ送り出したが,1期(5~12月)に1人約100円の経費を要したという。県会議員や村長も務め,土木事業,農事改良,学校や病院の設置,出征軍人や留守家族への援護にも尽力した。父が敬虔な真宗門徒で,留守宅への多くの手紙に「仏様火の元大事」にと諭し,また「よしあしの心は仏の知ろしめす 我は御恩の御名を信ずる」などの歌を書き添えており,その影響を強く受けたとみられる。<参考文献>『今立町誌』
(隼田嘉彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報