上坂忠七郎(読み)うえさか・ちゅうしちろう

朝日日本歴史人物事典 「上坂忠七郎」の解説

上坂忠七郎

没年:大正7.5.26(1918)
生年天保10.9.10(1839.10.16)
幕末から大正期の漆業者。越前国(福井県)今立郡朽飯村の人。幼名貞助,襲名して忠七郎を名乗る。若くして父と水戸藩で漆業に従事,東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会(1877)で「品質精良,製出夥多」として表彰された。明治中期には毎年数百人の漆掻職人関東東北一円へ送り出したが,1期(5~12月)に1人約100円の経費を要したという。県会議員村長も務め,土木事業,農事改良,学校や病院の設置,出征軍人や留守家族への援護にも尽力した。父が敬虔な真宗門徒で,留守宅への多くの手紙に「仏様火の元大事」にと諭し,また「よしあしの心は仏の知ろしめす 我は御恩の御名を信ずる」などの歌を書き添えており,その影響を強く受けたとみられる。<参考文献>『今立町誌

(隼田嘉彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上坂忠七郎」の解説

上坂忠七郎 うえさか-ちゅうしちろう

1839-1918 幕末-大正時代の漆(うるし)業者。
天保(てんぽう)10年9月10日生まれ。越前(えちぜん)今立(いまだて)郡朽飯(くだし)村(福井県今立町)の人。明治10年第1回内国勧業博覧会で漆の品質のよさによって表彰される。明治の半ばには毎年200名をこえる漆掻(うるしかき)職人を関東,東北におくりだした。大正7年5月26日死去。80歳。

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