日本歴史地名大系 「上坂手村」の解説
上坂手村
かみさかてむら
[現在地名]長島町上坂手
長島輪中にあり北は
もと坂手村といっていたが、信長の長島攻めに際し、北陸へ逃れた門徒衆の子孫のいわゆる本願寺崩れ一〇〇余人が、元禄年中(一六八八―一七〇四)に帰村し、村の長と農民との間に争論が起こり、上下の二村に分れたという(長島細布)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長島輪中にあり北は
もと坂手村といっていたが、信長の長島攻めに際し、北陸へ逃れた門徒衆の子孫のいわゆる本願寺崩れ一〇〇余人が、元禄年中(一六八八―一七〇四)に帰村し、村の長と農民との間に争論が起こり、上下の二村に分れたという(長島細布)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...