源光行(読み)ミナモトノミツユキ

デジタル大辞泉 「源光行」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐みつゆき【源光行】

[1163~1244]鎌倉初期の学者法名、寂因。和歌藤原俊成に学ぶ。子の親行ちかゆきとともに源氏物語河内本)を校訂。著「蒙求和歌」。

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精選版 日本国語大辞典 「源光行」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐みつゆき【源光行】

  1. 鎌倉初期の学者。親行の父。法名寂因。大和守、河内守など歴任。親行とともに「源氏物語」の校訂・注釈に従った。著「蒙求和歌」「百詠和歌」。長寛元~寛元二年(一一六三‐一二四四

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百科事典マイペディア 「源光行」の意味・わかりやすい解説

源光行【みなもとのみつゆき】

鎌倉前期の歌人,学者。和歌を藤原俊成に,漢詩文藤原孝範に学び,藤原定家とも交友があった。はじめ鎌倉にあって源頼朝らに仕えたが,後に後鳥羽院北面の武士となり,承久の乱により斬罪のところを嫡男の親行の奔走により辛うじて免れた。勅撰和歌集に19首入集,著作に《蒙求和歌》《百詠和歌》《新楽府和歌》があるが,最大の業績は《源氏物語》の本文校訂とその注釈を企図し,その事業を親行に継承させたことである。父子によって完成された河内本《源氏物語》および《水原抄》は鎌倉時代の源氏研究に多大な影響を与えた。
→関連項目海道記紫明抄東関紀行

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源光行」の意味・わかりやすい解説

源光行
みなもとのみつゆき
(1163―1244)

鎌倉時代の和学者。清和源氏満政流。和歌を藤原俊成(しゅんぜい)に、漢学を藤原孝範(たかのり)に学ぶ。源平闘争や承久(じょうきゅう)の乱など戦乱に巻き込まれては、京と鎌倉とを往還し、関東に死す。『千載集(せんざいしゅう)』以下勅撰(ちょくせん)集に19首入集(にっしゅう)しているのをはじめ、歌合(うたあわせ)にも多く出座した歌人であるとともに、『蒙求(もうぎゅう)和歌』『百詠和歌』など、平安朝以来の日本人の幼学書であった漢籍を和訳し、それら諸話を題に和歌を詠んだ。また親交のあった定家とは別の方法で『源氏物語』研究に励み、子の親行(ちかゆき)とともに河内本(かわちぼん)の校訂事業を完成させたうえ、いまは散逸したが、かなり膨大な注釈書『水原(すいげん)抄』を著し、後の『源氏物語』研究に影響を与えた。

[池田利夫]

『池田利夫著『河内本源氏物語成立年譜攷――源光行一統年譜を中心に』(1980・日本古典文学会)』

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朝日日本歴史人物事典 「源光行」の解説

源光行

没年:寛元2.2.17(1244.3.27)
生年:長寛1(1163)
鎌倉時代の政治家,学者。豊前守源光季の子。父が平氏に与同したことを謝罪するために元暦1(1184)年に鎌倉に下って幕府に仕え,建久2(1191)年には頼朝が後援した京の六条若宮で歌合を開き,やがて幕府の政所の別当になるなど,幕府と朝廷の文化的・政治的橋渡しの役割を果たした。この間,民部丞,大和守,河内守,大監物を歴任して,承久の乱では後鳥羽上皇に従ったため,斬罪に処されるべきところを免れた。その後は子の親行と共に『源氏物語』の注釈書を出すなど,鎌倉の文化の向上のために尽くす。<著作>『蒙求和歌』『百詠和歌』『水源抄』

(五味文彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源光行」の解説

源光行 みなもとの-みつゆき

1163-1244 鎌倉時代の歌人,学者。
長寛元年生まれ。清和源氏満政流,源光季の子。鎌倉幕府につかえたが,承久(じょうきゅう)の乱では朝廷側につき,かろうじて処刑をまぬかれる。子の源親行(ちかゆき)と2代にわたって「源氏物語」の校注をすすめ,河内(かわち)本を制定。歌は「千載和歌集」などにはいっている。寛元2年2月17日死去。82歳。法名は寂因。著作に「蒙求(もうぎゅう)和歌」「百詠和歌」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源光行」の意味・わかりやすい解説

源光行
みなもとのみつゆき

[生]長寛1(1163)
[没]寛元2(1244).2.17.
平安時代後期~鎌倉時代前期の歌人,古典学者。大和守,大監物などを歴任。『源氏物語』の校訂 (河内本) や注釈 (『水原抄』) に着手し,子の親行がこれを完成させた。ほかに『蒙求和歌』 (14巻) ,『百詠和歌』 (12巻) などがある。『海道記』の作者にも擬せられている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「源光行」の解説

源光行
みなもとのみつゆき

1163〜1244
鎌倉時代の文学者
藤原俊成から『源氏物語』の口伝をうけ,その注釈書『水原抄』をつくり,その子親行とともに『源氏物語』の諸本の校合に従事して河内本を完成した。和歌にすぐれ,『海道記』の作者ともいう。

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世界大百科事典(旧版)内の源光行の言及

【源氏物語】より

… 本文もまた当時は浮動性の多いものだったようで,陽明文庫本にその面影の一部を残している。こうした異本群の混乱を救い統一した形に整えようとしたのが鎌倉初期の藤原定家および,ともに河内守となった源光行(みつゆき)(1163‐1244)・源親行(ちかゆき)父子であった。定家は当時の善本とされた7本をもとに〈青表紙本〉を整定し,光行・親行らはさらに多くの本を参考にして〈河内(かわち)本〉を整定した。…

【源親行】より

…鎌倉前期の歌学者。生没年不詳。若いころから《万葉集》の書写,校定に努め,その成果は仙覚の万葉校本の土台となり,《新古今集》の校本もあるが,特に《源氏物語》学者として知られる。父光行(1163‐1244)とともに《源氏物語》の21種の諸本の校合の結果,《河内本源氏物語》を大成,その注釈として父の遺業を継ぎ《水原抄(すいげんしよう)》(散逸),《原中最秘抄(げんちゆうさいひしよう)》を作成。将軍源実朝,藤原頼経,宗尊親王らの歌や《源氏》の師範でもあった。…

【蒙求和歌】より

…1204年(元久1)成立。源光行作。《唐物語(からものがたり)》などと同様の,中国故事を和文化した説話集とも見られる。…

※「源光行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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