上塩塚村(読み)かみしおつかむら

日本歴史地名大系 「上塩塚村」の解説

上塩塚村
かみしおつかむら

[現在地名]大和町塩塚

下棚町しもだのまち村の西、矢部やべ川支流塩塚川左岸にある。西は下塩塚村など。天正七年(一五七九)一二月九日、龍造寺隆信田尻鑑種に対し津留つる村、浜田はまだ(現瀬高町)以外に一千町の所領給付を確約し(「龍造寺隆信起請文」田尻家文書/佐賀県史料集成七)、そのうち六〇三町を先給した天正七、八年頃と推定される田尻鑑種知行坪付(同上)には「塩塚村」一二〇町がみえる。ただし年月日未詳の村付(田尻家譜/大和町史資料編)には「百三十町 塩塚村」の注記に「鎮並本地」とあり、もともとは蒲池鎮並の所領だったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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