木賃宿(読み)キチンヤド

デジタル大辞泉 「木賃宿」の意味・読み・例文・類語

きちん‐やど【木賃宿】

江戸時代木賃1を取り旅人に自炊させて泊めた宿屋。食事付きの旅籠はたごに対していう。木銭宿
一般に、粗末な安宿。
[類語]宿旅館宿屋ホテル民宿ペンション旅籠モーテルラブホテル連れ込み連れ込み宿

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精選版 日本国語大辞典 「木賃宿」の意味・読み・例文・類語

きちん‐やど【木賃宿】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、宿駅で、客の持参した食料を煮炊きする薪代(木銭、木賃)だけを受け取って宿泊させた、最もふるい形式の旅宿。食事つきの旅籠(はたご)に対していう。江戸後期には零細庶民、たとえば大道商人、助郷人足、雲助日雇稼ぎなどを対象とする旅宿を意味し、御安宿、雲助宿、日雇宿などと呼ばれることもあった。明治以後もその名は存続し、屋根銭とか布団代を支払う安宿のことをいった。木銭宿。木賃。
    1. [初出の実例]「三人づれのきちんやど」(出典:浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)上)
    2. 「東京にては木賃宿をば一般に安宿或は安泊と呼び做せど」(出典:平民新聞‐明治三七年(1904)一月一〇日)

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改訂新版 世界大百科事典 「木賃宿」の意味・わかりやすい解説

木賃宿 (きちんやど)

古代から近代にかけて,旅行者が携帯した米または干飯(ほしいい)を炊(かし)ぐための薪代を受け取って,宿泊させた宿屋をいう。木賃とは薪代のことで,木銭とも称し,これが宿賃となった。1611年(慶長16)の幕府法令は,木賃代を人は銭3文,馬は6文と規定するが,これは馬の使用湯量が多いためである。木賃の宿泊形式は,しだいに木銭米代形式(旅行者が宿屋用意の米を買って自炊し,その米代と薪代を支払う)から旅籠はたご)形式(宿屋で食事いっさいを用意する)へと発達した。
執筆者: 江戸時代の後期には大道芸人や日雇稼,人足などが常用した安宿も木賃宿といった。例えば1843年(天保14)の江戸では下谷山崎町などに木賃宿があり,乞胸(ごうむね)や願人などが定宿としたほか,巡礼などの旅行者が利用し,俗に〈ぐれ宿〉といわれていた。そこでは木銭はなく,屋根代として1日1人24文,布団借用者は別に16~24文を支払った。明治になっても安宿は木賃宿と称し,日雇人夫などに安い宿料で宿泊させた。現在,東京(ドヤと呼ぶ)や大阪では,このような安宿は特定地域に集中しているが,木賃宿の名称はあまり使用されない。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木賃宿」の意味・わかりやすい解説

木賃宿
きちんやど

野宿から旅籠(はたご)に移行する過渡期の宿泊所。元亀(げんき)(1570~73)から慶長(けいちょう)(1596~1615)のころの庶民の旅は、干飯(ほしいい)、米、大根漬けなどを携行し、宿泊所では湯をもらうだけであった。その燃料代つまり薪代(まきだい)・木銭(木賃)を払ったところから、その宿を木賃宿とよんだ。湯の使用量は人間よりも馬のほうが多いので、木賃も馬のほうが高く、1611年(慶長16)には人は銭3文、馬は6文と規定されたが、のちにその差は縮まった。また1665年(寛文5)には主人16文、従者6文。この主人と従者との差は1866年(慶応2)から廃止された。この木賃宿泊を一歩押し進めたのが木賃米宿泊で、あらかじめ宿泊所で用意された米を買って自炊し、木銭と米代をあわせて支払うものであった。しかし旅中での自炊はたいへんなので、しだいに菓子や酒食までも備えて泊める旅籠ができるようになった。木賃宿が旅籠に発達しても、屋根銭とかふとん代といって安い料金で泊める宿は残り、明治以降もそれを木賃宿と称し、いまも場末などに残っている。

[山内まみ]

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百科事典マイペディア 「木賃宿」の意味・わかりやすい解説

木賃宿【きちんやど】

近世に盛行した休泊所で,木賃すなわち燃料費のみを支払って自炊する仕組みの安宿をいう。のち米を携行する不便を省いた木賃米代宿泊制もできたが,交通量の増大とともに飲食を供し入浴させる旅籠(はたご)が現れた。一般の平旅籠飯盛女を置く飯盛旅籠の別があった。1931年木賃宿の名称は廃止,簡易旅館となった。→旅館
→関連項目放浪記

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「木賃宿」の解説

木賃宿
きちんやど

飯米のための薪代のみで宿泊できる簡素な宿。宿泊施設の最初の形態。干飯などを持参し自炊する。湯代・薪代のみを支払うことから木賃宿といった。江戸時代には一般庶民は食事提供のある旅籠(はたご)に泊まることが多く,利用者は貧困者・旅芸人・巡礼・乞食・助郷人足などであった。木賃は慶長年間には銭3文ほど。1658年(万治元)には薪代として銭6文であった。近代以降も貧困者には格好の宿泊施設として利用された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木賃宿」の意味・わかりやすい解説

木賃宿
きちんやど

木銭宿ともいう。宿泊代金が薪水の費用のみであった頃の旅宿の呼称。慶長 19 (1614) 年の令には,「旅人駅家に投じてその柴薪を用うれば,木賃鐚銭三文を出し…」というのがある。野宿から旅籠 (はたご) に移る過渡期の宿泊所で,鎌倉時代に生れた。近世以降はきわめて宿泊料の安い宿泊所をいうようになった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「木賃宿」の解説

木賃宿
きちんやど

江戸時代の下級宿屋
飯炊きや湯沸かしの薪代,つまり木賃のみを取って泊める宿屋で,旅人は干飯や大根漬を携行し自炊した。のち木賃・米代を払う宿泊になり,さらに食事を出す旅籠 (はたご) が普及したが,料金の安い宿泊所として近代にも残った。

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世界大百科事典(旧版)内の木賃宿の言及

【旅館】より

…ただし,この語が広く用いられるようになったのは昭和になってからで,明治における宿泊施設の一般的呼称は〈宿屋〉であり,法律上の用語としても宿屋が用いられた。明治時代には警察令による〈宿屋営業取締規則〉があり,同規則によれば,宿屋は,旅人宿,下宿,木賃宿の3種に分類されていた。こうした名称と分類は大正時代まで残っていたようで,昭和になってから宿屋という言葉がしだいに廃れ,代わって旅館が広く用いられるようになった。…

※「木賃宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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