( ①について ) 「人倫訓蒙図彙‐四」(一六九〇)には「一切(いっさいの)精進の調菜、乾物(ひもの)、海草(うみくさ)、木実、草の根、あらゆるもの也」とあり、「八百屋」が多種のものを扱っていたことが知られる。
野菜などを販売する商人の店。自家生産の野菜を町に振売(ふりうり)することが平安時代にはみられた。江戸時代に入ると都市の発達に伴って,住民の消費にこたえる店売が始まった。そのころは,あらゆる精進の調菜,乾物,海藻,木の実,草根などを扱っていたので八百屋といった。18世紀には野菜類に限定され,葉菜の青物,根菜の土物,果菜の前栽物に区別されていた。
都市の青物市が近郊の農家から集荷して,小売の八百屋はそこから仕入れた。また,担い売は八百屋だけでなく近郊農家によっても行われ,青物売と呼ばれた。担い売は,今日も担ぎ屋の女性として続いている。近代では小売は果物も扱い青果物商となり,さらに第2次大戦後はスーパーや遠距離からの産地直売が広まり,缶詰,瓶詰類も置く食料品店と化しつつある。成立当時の八百屋に戻ったということができる。
執筆者:遠藤 元男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
野菜類を販売する商人または店。自家生産の野菜類を町で振売りする小商人はすでに10世紀ころからみられた。都市住民の生活向上に伴い、その需要に応ずる店売りは17世紀に始まった。そこではいっさいの精進(しょうじん)の調菜(副食物)、乾物、海藻、木の実、草根などを扱っていたので八百屋といった。これが18世紀に入ると、商品は野菜類に限られ、葉菜類(青物)、根菜類(土物(つちもの))、果菜類(前栽(ぜんさい)物)だけが店頭で商われた。都市の青物市場へは近郊の農家から集荷された。八百屋はそれを仕入れて小売りをした。また、担売りもあり、これは八百屋のほかに近郊農家のものも多く、青物売りとよばれた。19世紀後半になると、小売りの八百屋は果物も扱って青果物商となり、また第二次世界大戦後はスーパーマーケットや産地直売の普及につれて、缶詰、瓶詰類も置く食料品店化しつつあり、成立当初の八百屋に戻っているといえる。なお、野菜を行商する女性は今日でもみられる。
[遠藤元男]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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