上多賀村(読み)かみたがむら

日本歴史地名大系 「上多賀村」の解説

上多賀村
かみたがむら

[現在地名]熱海市上多賀

熱海村の南に位置し、東は相模湾に面している。村内を東浦ひがしうら路が通る。中世は下多賀村とともに多賀郷に含まれた。天文七年(一五三八)三月九日の北条家朱印状(宮本文書)によると伊豆国革職人のなかに「多賀」一人が含まれる。北条氏所領役帳には小田原衆の大草加賀守の所領役高として一〇〇貫文「東浦多賀郷」とみえる。永禄一二年(一五六九)四月二四日、北条氏規は岡本善左衛門尉に対して多賀郷代官と百姓に貸した兵粮の回収を命じた(「北条氏規朱印状」岡本文書)。天正一八年(一五九〇)四月「田賀郷」に豊臣秀吉掟書(長津文書)が出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む