多賀郷(読み)たかごう

日本歴史地名大系 「多賀郷」の解説

多賀郷
たかごう

神崎こうざき庄に属し、現たかに比定される。正元二年(一二六〇)三月一〇日の左衛門尉師時配分状(神崎神社文書)に神崎大明神御領田三六町・畠四町九段の内として「多賀分 三町壱段 畠七段」とみえる。師時は千葉介常胤の孫師胤の子(千葉大系図)。建武四年(一三三七)八月日の野本朝行子息鶴寿丸軍忠状(熊谷家文書)に「神崎庄内多賀郷」とみえ、当郷を領有する下河辺一族の野本朝行は、建武年間、足利尊氏方に属して当郷に乱入した千葉貞胤方と合戦を展開した。


多賀郷
たがごう

和名抄」諸本とも訓を欠く。「日本地理志料」では「太加」と読む。現多賀城市に比定される。多賀城は、律令国家東北地方に幾つか設置した古代城柵の中枢で、陸奥国国府でもあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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