相模湾(読み)さがみわん

精選版 日本国語大辞典 「相模湾」の意味・読み・例文・類語

さがみ‐わん【相模湾】

神奈川県、三浦半島南端の城ケ島と真鶴(まなづる)岬とを結ぶ線から北側の海域。相模川、境川、酒匂(さかわ)川が流入。ブリ、アジ、サバなどの好漁場。

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デジタル大辞泉 「相模湾」の意味・読み・例文・類語

さがみ‐わん【相模湾】

神奈川県、三浦半島南端の城ヶ島伊豆半島真鶴岬とを結ぶ線より北側の海域。好漁場。

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日本歴史地名大系 「相模湾」の解説

相模湾
さがみわん

三浦半島南端の三浦市じようしま真鶴まなづる半島先端の足柄下あしがらしも郡真鶴町真鶴岬とを結ぶ線以北の海域をさす。広義には伊豆半島と房総半島との間の相模灘をも含む。

縄文前期の海岸線はいわゆる縄文海進の影響で現在よりも内陸に深く入込んでいた。縄文中期初頭の平塚市五領ごりようだい貝塚、中期の鎌倉市平戸山ひらとやま貝塚、後期の藤沢市西富にしとみ貝塚などからは各種の貝類、マグロカツオ、ブリ、ヒラメクロダイ、ボラなどの魚骨、石錘などが出土している。「延喜式」(主計)に相模国から中男作物としてみえる海藻は当湾の産物であった。

〔中世〕

古代末から中世初頭には三浦半島を本拠地とした三浦一族の支配が当湾一帯に及んでいた。「吾妻鏡」によれば治承四年(一一八〇)八月一七日伊豆で挙兵した源頼朝の頼りとした兵力の主体は三浦氏と西相模の土肥一族であった。八月二三日の石橋山合戦に敗れいったん土肥どい(現足柄下郡湯河原町)の山中に隠れた頼朝は、二八日真鶴崎から船に乗り海路安房へと逃れた。この時海上で警固に当たったのはおそらく浦々に住む三浦氏配下の海賊衆で、すでに当時、湾を東西に横断する海上交通路が形成されていたのであろう。

頼朝が幕府を開いて後、鎌倉の地は大いに賑い、貞応二年(一二二三)四月一七日鎌倉へ入った「海道記」の作者は「数百艘の舟、ともづなをくさりて大津の浦に似たり」と由比ゆいガ浜の様子を記している。鎌倉への物資が宋や鎮西諸国など遠隔地からもたらされ、年貢輸送船や商船の往来が頻繁になるに伴い港湾の設備が必要となった。貞永元年(一二三二)七月北条泰時の許可を受けた勧進聖人往阿弥陀仏により和賀江わかえ嶋が築かれた(「吾妻鏡」同月一二日条)。また岸壁は伊豆から運ばれた石材で築かれたという。正中二年(一三二五)鎌倉建長寺再建のために中国へ向けて派遣された建長寺船(同年七月一八日「恵雲奉書」県史二)や、元徳二年(一三三〇)関東大仏造営料唐船が解纜したのもこの港であった(元徳元年一二月三日「崇顕金沢貞顕書状」同書)。南北朝期同港の管理には鎌倉極楽ごくらく寺が当たっている(貞和五年二月一一日「足利尊氏書状案」県史三)

戦国期には湾および沿岸の諸村は小田原北条氏の支配下に組込まれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「相模湾」の意味・わかりやすい解説

相模湾 (さがみわん)

神奈川県南部の海湾。伊豆半島頸部(けいぶ)の真鶴(まなづる)岬と三浦半島南端の城ヶ島を結んだ線以北の海域を指し,南は相模灘に連続する。湾の南西部に相模灘から入り込んだ相模トラフの延長があり,最深所は水深1000mをこえる。この東側には深さ約500mの海底山脈があり,三浦半島との間は深さ約700mの海盆となっている。湾内には黒潮の分流が入り,沿岸礁や海底谷が好漁場となり,イワシ,アジ,サバ,ブリなどが漁獲される。湾岸には古くからの漁村があり,遠洋漁業基地三崎(三浦市)をはじめ東岸には長井(横須賀市),西岸には小田原,真鶴,砂浜海岸の湾奥部には大磯,須賀(平塚市)などの漁港がある。相模湾北東岸の湘南(しようなん)は明治中期以後保養地として,別荘地が形成され,しだいに住宅地化が進んだ。また,海浜は海水浴場地帯としても知られる。相模湾は1923年の関東大地震,30年の北伊豆地震の震源地も近く,地震活動の活発な場所でもある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相模湾」の意味・わかりやすい解説

相模湾
さがみわん

神奈川県西部の真鶴岬(まなづるみさき)と三浦半島南端(城ヶ島(じょうがしま))を結ぶ線から北の海域をいう。湾の西部に深さ1000~1200メートルの海渠(かいきょ)がみられるが、この海底地形は、相模湾の北西から日本海溝(伊豆諸島東部)に連なる相模トラフによるもので、1923年(大正12)の関東大地震のときにおこった海底の沈下現象は、この構造地帯の活動によるものとされている。沿岸潮流は相模川河口から三浦半島西岸へかけて東流、ついで南東流するものが強くみられ、境(さかい)川(藤沢市)、田越(たごえ)川(逗子(ずし)市)、森戸川(葉山町)諸川の河口部にはそれぞれ、東方また南方へ向けて砂州が発達している。こうした海底や沿岸地形によって天然漁礁は東部では西部よりも広く発達し、東部の全域がアジ、サバ釣りや延縄(はえなわ)の好漁場である。また、江の島南方沖合いや横須賀(よこすか)、三浦両市の西方沖合いはイカ釣り、小田原南方の片浦から真鶴岬の沖合いにかけてはアジ、サバ釣りの好漁場となっている。片浦と真鶴と三浦半島の西浦(横須賀市)ではブリの定置網漁業が行われ、真鶴はブリ網観光でも知られる。

[浅香幸雄]

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百科事典マイペディア 「相模湾」の意味・わかりやすい解説

相模湾【さがみわん】

神奈川県南部に湾入する海面。ふつう城ヶ島と真鶴岬を結ぶ線以北の海域をさす。沿岸は一般に単調な砂浜で三浦市の三崎港以外に良港はない。最深部は1000mを越え,黒潮の分流が流入するので魚類は多く,カツオ,マグロ,アジ,ブリ,海藻類の好漁場。湾岸は湘南(しょうなん)と呼ばれる。
→関連項目大磯[町]神奈川[県]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相模湾」の意味・わかりやすい解説

相模湾
さがみわん

神奈川県南部,三浦半島先端の城ヶ島から,伊豆半島基部の真鶴岬以北にかけての海域。南は相模灘に続く。西岸は箱根山の溶岩流が迫り,東岸は溺れ谷の地形を示すが,その他では海岸線は単調で,背後に湘南の砂丘帯が発達。黒潮の一部が回流する好漁場で,沿岸には小漁港が発達。西部の小田原から真鶴にいたる海岸ではブリの定置網漁が行われる。東京,横浜から近く,海水浴のほかヨット,釣りなどの客でにぎわう。

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