上大瀬村(読み)かみおおせむら

日本歴史地名大系 「上大瀬村」の解説

上大瀬村
かみおおせむら

[現在地名]浜松市大瀬町・大島町おおしまちよう積志町せきしちよう

安間あんま川上流右岸に位置し、南西下大瀬村、北は万斛まんごく村。長禄二年(一四五八)と推定される三月日付の蒲御厨政所石田義賢申状案(東大寺文書)に「おうセ」とみえる。当地にはかば御厨の二筋の用水路のうち一つの水源地があり、井袋・市野・河内各氏らの所領であったが、当時は伊勢氏の御内皆川氏が請所としていた。水が出なくなって用水路は使用されなくなり、皆川氏の代官みやつかさ氏によって耕地化されたが、長禄二年頃になると天竜川(現馬込川か)から分水した支川の水が落ちていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む