上大笹生村
かみおおざそうむら
[現在地名]福島市大笹生・笹谷
松川の扇頂部左岸に位置し、西方は黒森山(六六四・五メートル)・葡萄沢山(九六七・三メートル)など山地で出羽国置賜郡と接する。北は摺上川支流の小川を境に中野村、東は町大笹生村・下大笹生村、南は松川を隔てて庭坂村・笹木野村。近世初期は町大笹生村・下大笹生村も含み大笹生村として推移したが、万治(一六五八―六一)の頃、三村に分れた。天文七年(一五三八)の段銭古帳に信夫北郷のうちとして「大さそう」とみえ、段銭は三八貫八〇〇文。伊達氏天文の乱において、同一二年九月八日・九日の両日、伊達稙宗は晴宗方の「大笹生・杉目両地」の外城などを攻め破り、放火した(九月一二日「伊達稙宗書状」佐伯文書)。翌一〇月二〇日、石母田(現国見町)を攻撃した伊達晴宗は桑折伊勢守・中野常陸守らが信夫口に迫ったため、「大さそう」へ退いている(一〇月二一日「伊達晴宗書状」留守文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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