上妻庄(読み)こうづまのしよう

日本歴史地名大系 「上妻庄」の解説

上妻庄
こうづまのしよう

現八女市中央部および東部を中心として、北は広川ひろかわ町南部、南は立花たちばな町北部に広がる宇佐宮弥勒寺喜多きた院領庄園。地頭は当庄開発領主上妻氏。建久四年(一一九三)六月一九日の将軍家政所下文案(上妻文書/鎌倉遺文二)に上妻庄とみえ、庄内七ヵ所の地頭職が藤原(上妻)家宗に与えられた。鎌倉時代初期と考えられる弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)によれば、当庄一五町が喜多院領であった。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文では当庄八〇〇町に高良こうら(現久留米市)上宮の回廊二宇三二間のうち一六間分の造営役が賦課されている。建永二年(一二〇七)筑紫部ちくしべなど庄内の四ヵ所が家宗に返されたが、ほか三ヵ所は後の決定を待つようにと、鎌倉幕府より裁許されている(同年八月二八日「関東御教書案」上妻文書/鎌倉遺文三、以下断りのない限り同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む