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島津貞久 しまづさだひさ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

島津貞久
しまづさだひさ

[生]文永6(1269).薩摩,山門院?
[没]正平18=貞治2(1363).7.3. 鹿児島
鎌倉,南北朝時代の薩摩守護。忠宗の長子。鎌倉幕府鎮西探題北条英時を滅ぼし,北条氏に没収されていた大隅,日向守護職を諸豪族の反乱を押えて回復。南北両朝分裂後は,おおむね幕府方に属した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島津貞久 しまづ-さだひさ

1269-1363 鎌倉-南北朝時代の武将。
文永6年生まれ。島津忠宗(ただむね)の長男。島津氏5代。文保(ぶんぽ)2年(1318)薩摩(さつま)守護職をつぐ。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年足利尊氏の倒幕の呼びかけに応じ,少弐貞経(しょうに-さだつね),大友貞宗とともに挙兵し,鎮西探題赤橋英時(ひでとき)を討つ。功により,日向(ひゅうが),大隅(おおすみ)の守護職を得る。南北朝対立後も,尊氏にしたがい南朝方とたたかった。貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年7月3日死去。95歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

島津貞久

没年:貞治2/正平18.7.3(1363.8.12)
生年:文永6(1269)
鎌倉後期・南北朝時代の武将。三郎左衛門尉,上総介を称す。法名は道鑑。父は忠宗,母は三池木工介入道道智の娘。文保2(1318)年,父の跡を襲い,薩摩国守護となる。元弘3(1333)年5月,足利尊氏の命に従い,少弐氏,大友氏らと鎮西探題北条英時を攻め滅ぼす。同年6月,日向国守護職を得る。翌年4月,さらに大隅国守護職を得る。南北朝内乱が始まると,尊氏側に与して肝付兼重らの宮方と戦う。康永1(1342)年,懐良親王が薩摩に入国すると,貞久はその本拠谷山城を攻め,また東福寺・催馬楽城を陥れた。懐良親王は南九州に勢力を扶植できぬうちに肥後に去った。観応の擾乱が始まると尊氏党として活動し,直義党に与した畠山直顕と日向・大隅地方の支配をめぐって争った。貞治2(1363)年4月,所領を子息に分与。薩摩守護職を与えられた師久は総州家島津氏の,大隅国守護職を与えられた氏久は奥州家島津氏の祖となった。同年7月に95歳で死去。年齢については異説もある。

(本郷和人)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しまづさだひさ【島津貞久】

1269‐1363(文永6‐正平18∥貞治2)
鎌倉・南北朝時代の薩摩・大隅国守護。島津氏代。忠宗の嫡男,母は三池道知女。上総介。法名道鑑。1325年(正中2)襲職。33年(元弘3)少弐・大友氏とともに鎮西探題北条英時を博多に攻め滅ぼす。35年(建武2)足利尊氏に応じ,出京して各所に戦功あり,帰国後拠城を川内(せんだい)碇山(いかりやま)城におき,各地に南朝方の豪族と戦い領国の経営につとめた。第3子師久,第4子氏久にそれぞれ薩摩,大隅国守護職を分譲。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島津貞久
しまづさだひさ
(1269―1363)

南北朝時代の武将。文永(ぶんえい)6年4月8日生まれ。父は島津忠宗(ただむね)。初め鎌倉幕府方であったが、足利尊氏(あしかがたかうじ)方となり九州、畿内(きない)各地で働き、南九州の宮(みや)方と対抗し、守護の領国経営のため薩摩(さつま)の碇山(いかりやま)城を居城とし、薩摩国、大隅(おおすみ)国の守護職(しゅごしき)を兼ねた。薩摩、大隅の各地で戦い、とくに薩摩を本領とし、守護大名へと展開する基礎を固めたが、鹿児島、谷山(たにやま)などでもしばしば苦戦している。のち守護職を分割相続させた。貞治(ていじ)2年7月3日没。95歳。墓は出水(いずみ)感応寺(かんのうじ)(鹿児島県出水市野田町)の五廟社(ごびょうしゃ)、本立寺(ほんりゅうじ)五道院(ごどういん)跡(鹿児島市清水町)、天徳寺(てんとくじ)跡(日置市吹上町)にある。[三木 靖]
『山本正誼編『島津国史』(1972・鹿児島県地方史学会)』

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