上寺町・中寺町・下寺町(読み)かみてらまち・なかてらまち・しもてらまち

日本歴史地名大系 「上寺町・中寺町・下寺町」の解説

上寺町・中寺町・下寺町
かみてらまち・なかてらまち・しもてらまち

[現在地名]相川町上寺町・中寺町・下寺町

町部南側の南沢みなみざわの谷を隔てた山側に位置し、上寺町はいまは一軒の寺も残らない。民家がなく、寺だけで一区画を成しており、江戸初期に佐渡支配の大久保長安が試みた城下町のつくりを伝える。通称寺町。「佐渡国寺社境内案内帳」によると、下寺町にあった浄土宗鉄壁山銀山ぎんざん寺は、仏具に「金山町銀山寺」とあったと記し、「佐渡故実略記」は、この仏具を慶長元年(一五九六)の作と伝える。同下寺町にあった日蓮宗円徳えんとく寺も同年の建立と伝え、町は一六世紀末から一七世紀初頭にかけて、逐次形成されていったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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