日本歴史地名大系 「上後藤村」の解説 上後藤村かみごとうむら 鳥取県:米子市上後藤村[現在地名]米子市上後藤一―七丁目・三本松(さんぼんまつ)四丁目・旗(はた)ヶ崎(さき)三丁目三柳(みつやなぎ)村・下三柳村の南にあり、米子城下から北西へ向かう外浜境(そとはまさかい)往来沿いの村。北境を米(よね)川が北西流する。もとは三柳村の南部を占めていた。米子内(うち)町の後藤氏によって開拓されたことから後藤村と称し、のち後藤氏分家によって北西弓浜半島の中海側に新しい開発村(後藤村)が成立したため上後藤村とよばれるようになった。後藤家四代目の市右衛門は享保五年(一七二〇)開発に着手、まず東方約二八〇間・南方六四〇間・西方七六〇間・北方四九〇間の地を画して風砂を防ぐために蘆や藁で囲い松苗を植付け、冬季は米川の水を利用して砂を流すなどの方法で耕地造成に努めたとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by