上有佐村(読み)かみありさむら

日本歴史地名大系 「上有佐村」の解説

上有佐村
かみありさむら

[現在地名]宮原町有佐ありさ 上有佐、中島なかしま 原田はるだ

宮原村の西に位置し、川左岸の氾濫原にあたる。下益城しもましき豊野とよの村の浄水じようすい寺跡の天長三年(八二六)石碑に「荒佐里」とみえる。原田は貞和二年(一三四六)一二月日の相良頼氏軍忠状(相良家文書)に「八代庄原田合戦」とみえ、同年一〇月二日八代に攻め入った筑後経尚・相良頼氏らと南朝方との合戦になった。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳に田方六三七石五斗余・畠方一七石余とある。野津手永に属し、「国誌」は「田中村大坪村等ノ小村アリ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む