日本歴史地名大系 「宮原村」の解説
宮原村
みやはらむら
- 広島県:呉市
- 宮原村
宮原の地名は、文安三年(一四四六)二月一二日付厳島社宝蔵財物注文(野坂文書)に「金泥法華経一部 呉宮原寄進」とみえる。弘治四年(一五五八)四月九日付の安芸国安南郡呉保打渡状(「芸備郡中士筋者書出」所収)に「呉保坪付」として「合田畠五貫文宮原・室瀬之内」とあり、呉保の一部であった。
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやのはるむら
宮原村
みやばらむら
- 静岡県:藤枝市
- 宮原村
宮原村
みやはらむら
宮原村
みやはるむら
宮原村
みやはらむら
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばるむら
北と西は
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばるむら
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばらむら
- 大分県:杵築市
- 宮原村
八坂川下流域の本庄村の北方。豊後国弘安図田帳の「本庄」にあたる。慶長五年(一六〇〇)細川氏領となり、翌六年に日出藩領が設けられたとき、本庄村の北方の山手(ただし本庄村のうち野際村を除く)、
宮原村
みやばらむら
- 神奈川県:藤沢市
- 宮原村
慶長一八年(一六一三)旗本佐野領と幕府直轄領になり、幕府直轄領は寛永二年(一六二五)旗本今村領となる。佐野領は元禄三年(一六九〇)佐野兄弟二家に分知された。佐野領の検地は延宝五年(一六七七)佐野氏自身によって実施された。佐野領内で慶長一九年から元和七年(一六二一)頃の間に百姓の立退事件が起こった。
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやばるむら
- 熊本県:玉名市
- 宮原村
宮原村
みやばるむら
宮原村
みやのはるむら
宮原村
みやはらむら
宮原村
みやばるむら
宮原村
みやはらむら
宮原村
みやはらむら
宮原村
みやばらむら
宮原村
みやはらむら
宮原村
みやばるむら
宮原村
みやばるむら
宮原村
みやばるむら
宮原村
みやばらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報