上杉憲藤(読み)うえすぎ のりふじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉憲藤」の解説

上杉憲藤 うえすぎ-のりふじ

1318-1338 鎌倉-南北朝時代武将
文保(ぶんぽ)2年生まれ。上杉憲房の子。犬懸(いぬかけ)上杉家の祖。建武(けんむ)4=延元2年関東執事となる。翌年足利尊氏の命令京都にいき,3月15日摂津で北畠顕家とたたかい,討ち死にした。21歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む