上杉憲房(読み)うえすぎのりふさ

精選版 日本国語大辞典 「上杉憲房」の意味・読み・例文・類語

うえすぎ‐のりふさ【上杉憲房】

  1. [ 一 ] 南北朝時代武将上野守護頼重の子。足利尊氏の母清子の兄。元弘の乱に、足利尊氏を朝廷方につかせる。のち尊氏とともに背き、京都で戦死建武三=延元元年一三三六)没。
  2. [ 二 ] 室町後期の武将。関東管領。周晟の子。顕定の養子。上野平井城を根拠にして上杉顕実と争った。のち北条氏綱と戦う。応仁元~大永五年(一四六七‐一五二五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上杉憲房」の意味・わかりやすい解説

上杉憲房
うえすぎのりふさ
(?―1336)

南北朝時代の武将。足利尊氏(あしかがたかうじ)の母清子の兄として尊氏に重んぜられ、1333年(元弘3・正慶2)の尊氏の六波羅(ろくはら)攻めに功績があり、伊豆国奈古屋(なこや)郷(静岡県伊豆の国市奈古谷(なごや))の地頭職(じとうしき)となり、建武(けんむ)政権のもとでは雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)の奉行人(ぶぎょうにん)となった。南北朝内乱が始まると、新田義貞(にったよしさだ)の本拠地である上野(こうずけ)守護となり、南朝勢力を一掃した。36年(建武3)1月尊氏に従って入京し、四条河原の合戦において北畠顕家(きたばたけあきいえ)、新田義貞らと戦い戦死した。法名瑞光院(ずいこういん)雪谿道欽。

[峰岸純夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉憲房」の解説

上杉憲房(2) うえすぎ-のりふさ

1467-1525 戦国時代の武将。
応仁(おうにん)元年生まれ。上杉憲実の孫。上杉顕定の養子。越後(えちご)で養父が敗死した後,上野(こうずけ)(群馬県)平井城を本拠とする。おなじ養子の顕実(足利政氏の弟)とあらそい,山内上杉家の家督と関東管領の地位をうばう。のち扇谷(おうぎがやつ)上杉朝興をたすけて北条氏綱とたたかった。大永(たいえい)5年3月25日死去。59歳。

上杉憲房(1) うえすぎ-のりふさ

?-1336 鎌倉-南北朝時代の武将。
上杉清子の兄。足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の伯父。建武(けんむ)政権の雑訴決断所奉行となる。建武2年尊氏が鎌倉にとどまって後醍醐(ごだいご)天皇と対立したとき,上野(こうずけ)(群馬県)の守護に任命される。建武3年1月27日京都の四条河原で北畠顕家,新田義貞とたたかい討ち死にした。

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朝日日本歴史人物事典 「上杉憲房」の解説

上杉憲房

没年:建武3/延元1.1.27(1336.3.10)
生年:生年不詳
鎌倉・南北朝時代の武将。頼重の子。兵庫頭,永嘉門院蔵人。足利尊氏・直義兄弟の母清子の兄に当たる。尊氏を支えつつ北条氏との対戦などに従い,建武政権下では雑訴決断所の一員となる。建武2(1335)年に尊氏が後醍醐天皇に背くと尊氏から上野守護に任命され,さらに尊氏のもとで天皇方と戦いつつ京都に進み,翌年1月,新田義貞らと四条河原に戦い戦死した。

(山田邦明)

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