日本歴史地名大系 「上条堰」の解説 上条堰かみじようせぎ 山梨県:中巨摩郡敷島町上条堰一(いち)の堰ともいう。牛句の村上(うしくのむらかみ)で亀沢(かめざわ)川から取水し、境(さかい)・島上条(しまかみじよう)・中下条(なかしもじよう)・大下条(おおしもじよう)を経て貢(く)川に合流する。灌漑面積一二七ヘクタール。元亀三年(一五七二)三月二六日の武田家印判状写(甲斐史料集成稿)によると、武田氏は牛句・中下条・下方(しもかた)・大下条・天狗沢(てんぐざわ)・宮地(みやじ)の六郷が談合して破損した堰を再興するように命じているが、これは当堰のことと思われる。「甲斐国志」によると、堰の管理は牛句・境・島上条・中下条・大下条の五村組合で行っていた。甲府市場に近く交通便利であるため、明治期から大正期にかけて水車精穀業が盛んとなり、堰に沿って多くの水車小屋が並び、堰のある松島(まつしま)村の米の値段が甲府市場の米価を左右するほどであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by