上正善寺村(読み)かみしようぜんじむら

日本歴史地名大系 「上正善寺村」の解説

上正善寺村
かみしようぜんじむら

[現在地名]上越市上正善寺

牛池うしいけ新田南西春日かすが山西麓に位置。正善寺は正善寺川の谷間に沿って開けた細長い地域でもとは一村、のち分村して上流より上・中・下の三村となった。この地は宇津尾うつお上綱子かみつなごなかまたなどの桑取くわとり谷の村々を経て増沢ますざわより峠にかかり、名立なだち(現西頸城郡名立町)へ至る谷道の入口にあたる。この谷道は古くから開かれていたと推定され、浜往来に対する山往来として知られ、横道の称があった。

地名のもととなった寺院正善寺は弘仁年中(八一〇―八二四)の草創、盛時は子院一四を数えたが、春日山城主堀秀治時代の上杉遺民一揆(真言一揆)を境として急速に衰亡したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む