上永原村(読み)かみながはらむら

日本歴史地名大系 「上永原村」の解説

上永原村
かみながはらむら

[現在地名]野洲町上屋かみや

永原村の南東にあり、南は紺屋町こんやまち村。すぐ西を朝鮮人街道、南東を中山道が走る。村名は永原村の山手にあることによる。近年まで条里地割が認められた。元和六年代官算用状(芦浦観音寺文書)に上永原村とみえる。元和七年成箇帳(同文書)では高五〇七石余のうち引方は永荒二六石余、いもち日損一〇石余。有高四七〇石余、免は三ツ五分一厘で納高一七八石余、うち一七石余が大豆納。慶安高辻帳では田四四九石余・畑三一石余・永荒二六石余。江戸初期は幕府領。うち一一八石余は永原長吉に扶持米として与えられていた(前掲代官算用状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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