上泉庄(読み)かみいずみのしよう

日本歴史地名大系 「上泉庄」の解説

上泉庄
かみいずみのしよう

古代の和泉郡上泉かみついずみ郷内に成立した庄園。「和泉志」に「府中一名大泉又上泉」とあるので、現和泉市の府中ふちゆう一帯に所在したものと推定される。天台宗京都青蓮しようれん門跡領。寛喜元年(一二二九)八月一一日の後堀河天皇宣旨(門葉記)によると、この時、故前僧正仁慶遺跡である十楽院門跡(青蓮院三院家の一)領の堂舎・聖教・本房・大小所領一切が二品尊性親王家に相伝された。そのなかに「和泉国上泉庄一所、件庄者、後高倉院御時、庄号建立、被宛置御祈祷用途畢、仍永可門跡相伝之由、所成賜院庁御下文也」とみえ、後高倉院によって立庄され、祈祷用途として門跡に付され、門跡相伝領とされていたことが知られる。仁慶が没したためこの年、遺領すべてが後高倉院皇子尊性親王に譲られたわけである。上泉庄の立庄されたのは前述のように上泉郷の地で、長和三年(一〇一四)宗岡光成が坂本さかもと郷・上泉郷両郷内山野ならびに白木谷上津池内常荒田について永代私領として認めてくれるよう願っている(同年一〇月一八日「宗岡光成解状案」河野家所蔵文書)。寛治二年(一〇八八)二月一日および同六年四月一三日の酒人盛信解状(同文書)によれば、上泉郷字白木・中津尾・上津尾三ヵ池(白木池と総称か)は盛信祖父が執行して築き、乗尻田の用水としていたが近年大破し、乗尻の開発田も荒廃に帰してしまった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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