上瀬戸村
かみせとむら
[現在地名]立山町上瀬戸
白岩川の支流和田川左岸、上段段丘の最南端に立地し、北は下瀬戸村。文禄二年(一五九三)加賀の前田利長が尾張国から陶工をよび、当地周辺に窯を築かせ、当地一帯は瀬戸村と総称された。当村には彦右衛門・小二郎が窯を築いたという。村立て以前は上末村領内であったと考えられる。明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえ、寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高五二石、免二ツ三歩、小物成は瀬戸物役四七匁(三箇国高物成帳)。天明五年(一七八五)には田四九石・二町六反余、畑屋敷三石・二反、家数六・人数二六、馬二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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