上瓦葺村(読み)かみかわらぶきむら

日本歴史地名大系 「上瓦葺村」の解説

上瓦葺村
かみかわらぶきむら

[現在地名]上尾市瓦葺

大宮台地原市はらいち支台上にあり、村域は本瓦葺もとかわらぶき村と入会う。北東南東流する綾瀬川と原市沼はらいちぬま川がつくる低地正保(一六四四―四八)から元禄(一六八八―一七〇四)の間に瓦葺村から分村したらしく(風土記稿)、元禄二年の大宮宿助郷証文(渡辺家文書)に上瓦吹村とみえ、勤高二七二石余。足立郡南部なんぶ領に属する(風土記稿)。田園簿では幕府領で、元禄一一年旗本阿部氏、同一五年旗本小川氏、その後旗本伏見氏に割かれた(享保六年「村明細帳」渡辺家文書)。国立史料館本元禄郷帳では阿部・小川両氏と幕府領。享保一六年(一七三一)南方溜池を開発した地が検地を受けて幕府領の持添新田となった(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む