上直江村
かみなおえむら
斐伊川の南にあり、北は今在家村、東は下直江村。山陰道が下直江村から南の富村へ通る。南東は仏経山から延びる丘陵で占められ、その北麓を岩野原という。天保年間(一八三〇―四四)新川が村の南東を東流した。文政七年(一八二四)の有高輪切帳写(県立図書館蔵)に記載された輪は小島輪・角田輪・藤木輪・土井輪・田中輪・光明寺輪。もとは直江村として一村で、「雲陽大数録」には万治元年(一六五八)二村に分れたと記されるが、万治二年に出東郡上直江村御検地帳が作成されていることから、万治二年に上直江村と下直江村の町が画定したと考えられる(斐川町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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