直江村(読み)なおえむら

日本歴史地名大系 「直江村」の解説

直江村
なおえむら

[現在地名]養老町直江

島田しまだ村の北、東流する牧田まきだ左岸沿いにある。古く牧田川沢田さわだ村あたりで平野部に出て東流していたが、永禄九年(一五六六)の大洪水で五日市いつかいち村の北あたりで二流に分れ、直江村東部で合流するようになり、直江集落はその大中洲の中に位置するようになった。そのため同川の出水の度に浸水、農業も立ちゆかなくなり、天明七年(一七八七)所替の願いが出され、牧田川左岸に移ったという(「所替願書」養老郡志)。南側旧集落の地を本郷ほんごう、移転した地を新屋敷しんやしきと称した。北東飯積いいづみ村。慶長五年(一六〇〇)の徳川家康禁制写(藤田カツ氏所蔵文書)に直井村とみえる。


直江村
なおえむら

[現在地名]金沢市直江町・みなと三丁目・問屋町といやまち一丁目・同三丁目

大野おおの川の左岸に位置し、北東は大河端おこばた村、西は近岡ちかおか村、東は割出わりだし村。中世には倉月くらつき庄の内。「天文日記」によれば、天文五年(一五三六)五月二日、本願寺証如は「加州直江村」の新右衛門尉に、同人の兄弟で当村彦太郎の跡職を申付けている。同一三年一〇月二二日には「倉月庄直江村内六郎男相拘二名事是ハ山本大郎違乱之由也」を申付けるよう将軍足利義晴に催促されており、石川郡の一揆の指導者山本大郎丸に押領されていた。


直江村
すぐえむら

[現在地名]大垣市直江町

東を揖斐いび川が南流し、大垣輪中の東端に位置する。西は小泉こいずみ村。耕地は揖斐川沿いに開ける。戦国期に直江城があり、今宿いまじゆく城主種田助之丞正元の弟彦七郎が在城したと伝え、彦七郎はのちに丸毛三郎兵衛と改名、三塚みつづか城の種田信濃守と同族で、大垣城主氏家氏の旗本で軍功があったという(新撰美濃志)。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に村名がみえ、村高八七九石余。正保郷帳では田高三一九石余・畑高一四一石余、村高の減少は寛永四年(一六二七)小泉村が分村したためであろう。


直江村
なおえむら

[現在地名]吉富町直江

広津ひろつ村の北、小犬丸こいぬまる村・小祝こいわい村の西に位置し、佐井さい川河口東岸に立地する。江戸時代後期までの領主の変遷は広津村に同じ。元和八年人畜改帳では給人分で、家数一四・人数二八(うち百姓五・名子一)、牛三・馬一。天保三年(一八三二)の中津藩領郷村高帳下書では高二〇二石余、うち改出高二八石余、享保五年(一七二〇)から文政一二年(一八二九)までの改出高二四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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