斐川町(読み)ひかわちよう

日本歴史地名大系 「斐川町」の解説

斐川町
ひかわちよう

面積:七三・三一平方キロ

宍道湖の西端にあたり、北・西・南の三方斐伊川により画される。北は平田市、西と南は出雲市、東は大原郡加茂かも町、八束やつか郡宍道町に接する。南部は仏経ぶつきよう山・高瀬たかせ山・城平じようひら山・大黒だいこく山など標高三〇〇―四〇〇メートル級の山々が東西に連なり、北部には斐伊川により形成された沖積平野が広がる。かつて斐伊川は名島なしまの辺りから西流し、日本海へ注いでいたという。その分流が何本も北東方向に向かって流れ、肥沃な平野を形成した。斐伊川本流が現在のように北東流するのは、寛永年間(一六二四―四四)以降といわれ、以後堆積した土砂により宍道湖の埋立が進んだ。弥生時代より古い遺跡は少ない。南部地域に数多くの古墳がみられ、出西しゆつさいに出西小丸こまる古墳群、神庭かんばには前方後円墳の神庭岩船山かんばいわふねやま古墳がある。昭和五九年(一九八四)荒神谷こうじんだに遺跡で三五八本の銅剣が発見され、翌年には銅鐸六個、銅矛一六本も出土し、特異な埋め方や、これまで同一個所で発見された例のない銅矛・銅剣と銅鐸が一緒に見つかったことで、世紀の発見といわれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報