上秋庄(読み)かんだけのしよう

日本歴史地名大系 「上秋庄」の解説

上秋庄
かんだけのしよう

大野郡東部にあった庄園で、京都祇園社領。「和名抄」記載の大野郡上杖かんだけ郷を継ぐか。現大野町の東部、根尾ねお川右岸にある上秋を遺称地とする。大永五年(一五二五)一〇月日の鷲尾家美濃所領目録(勧修寺文書)には当庄の四至として「東限 本樔郡西堺外山坤、南限 拾壱条里参拾壱、弐坪並南縄、西限 大野西郡東堺雁俣尾、北限 来振山峰并来振小山峰本樔郡正壱条壱里参拾壱坪坤」と記されている。現在の揖斐郡本巣もとす郡は根尾川が境界になっているが、明治以前は現根尾川の東を流れるさい川が郡の境であった。現根尾川の流路は享禄三年(一五三〇)の大氾濫によるものとされるので(岐阜県治水史)、当時は大永五年の所領目録にあるように外山とやま(現本巣郡本巣町)南西本巣郡の西の境である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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