長橋局(読み)ながはしのつぼね

改訂新版 世界大百科事典 「長橋局」の意味・わかりやすい解説

長橋局 (ながはしのつぼね)

宮中に仕えた女官で,勾当内侍(こうとうのないし)の別称。清涼殿の東南隅から紫宸殿の御後(ごご)に通ずる細長い板の橋を長橋といい,そのそばに勾当内侍の局(つぼね)があったことからこの称が生まれた。後宮十二司の一つ,内侍司(ないしのつかさ)の女官のうちで,奏請(そうせい),伝宣(てんせん)あるいは陪膳(ばいぜん)のことに当たった尚侍(かみ)や典侍(すけ)は,その立場上キサキとなることが多く,三等官の掌侍(じよう)(定員4人)が事実上当司を代表する女官となった。そこで単に内侍といえば掌侍のことを指すようになり,とくに掌侍4人のうち首位の者が,ほんらい尚侍や典侍の行うべき職掌に当たったことから勾当(もっぱら事に当たるの意)の内侍(略して単に勾当とも)と呼ばれるようになった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長橋局」の解説

長橋局 ながはしのつぼね

?-1352 南北朝時代の女官。
三隅兼連(みすみ-かねつら)の妹。後醍醐(ごだいご)天皇の皇子満良(みつよし)親王につかえる。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年5月11日山城(京都府)男山夜戦で親王をまもり討ち死にしたという。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長橋局の言及

【局】より

…位階を冠して一位局,二位局などと称し,あるいは官職を冠して大納言局,中納言局などというのは上﨟の女房で,按察使局(あぜちのつぼね),小督局(こごうのつぼね)などはこれに次ぐ。また中世以降宮中の重要な地位となった勾当内侍(こうとうのないし)は,その候所が紫宸殿から清涼殿に通ずる長橋の傍にあったので,長橋局とよばれた。近くは明治天皇の生母中山慶子,大正天皇の生母柳原愛子が二位局とか一位局と称され,武家でも将軍の居所に仕えた女房は局を称し,将軍徳川家光の乳母斎藤氏が朝廷から春日局の称をたまわったのは有名である。…

※「長橋局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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