西上秋村(読み)にしかんだけむら

日本歴史地名大系 「西上秋村」の解説

西上秋村
にしかんだけむら

[現在地名]大野町上秋かんだけ

稲畑いなばた村の東、根尾ねお川右岸に立地する。中世は上秋庄として推移。文安四年(一四四七)三月一七日の後花園天皇綸旨(大友文書)に「上秋庄東西」とあり、近世の東上秋村・西上秋村はこれを継ぐものと考えられる。東上秋村は慶長郷帳に村名がみえ、高一千五六一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では西尾嘉教(揖斐藩)領となっているが、その後文献にはみえない。根尾川の氾濫で流路の変動があり、消滅したとも考えられるが未詳。慶長郷帳に「西かんたき村」とみえ、高一千三五〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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