日本歴史地名大系 「上穴沢村」の解説
上穴沢村
かみあなざわむら
那珂川右岸の沖積低地上に位置し、西は
久寿三年(一一五六)頃の鹿島神宮神領目録(賜蘆文庫文書所収の鹿島文書)には「那珂郡ノ内アナサハ一石」とみえ、康安二年(一三六二)の佐竹義篤譲状(秋田県立図書館蔵)に「乙王丸分、一、那珂西穴沢村東西」とある。「水府志料」に「佐竹の族大山氏領知なりと申伝ふ」とあり、古くは下穴沢と一村をなしていたが、慶長七年(一六〇二)の検地のとき分れて上下二村となり、寛永二一年(一六四四)の御知行割郷帳には「阿野沢上郷」とみえ、寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)に「上穴沢村」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報