上粟生野村
かみあおのむら
[現在地名]塩山市上粟生野
千野村から重川に架かる千野橋を境に東に位置する。北は重川を隔てて竹森村。縦断する青梅往還沿いに井後田・青野・室屋・鐙摺の四集落からなる。地名はもと「アハウノ」を約しよんで「アヲノ」となったという(甲斐国志)。慶長古高帳に村名がみえ、高二三六石余、幕府領。ほかに上青野として白山(現喜久里神社)領七斗余が記される。寛永一〇年(一六三三)徳美藩領となり、以後の変遷は千野村と同じ。正徳三年(一七一三)の検地で高四五六石余、反別は田一〇町五反余・畑三二町余(うち屋敷五町三反余)になる(「検地帳」県立図書館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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