日本歴史地名大系 「上羽田村」の解説 上羽田村かみはねだむら 滋賀県:八日市市上羽田村[現在地名]八日市市上羽田町中羽田村の東にあり、東の布施(ふせ)山麓から西の雪野(ゆきの)山麓にかけて広がる大規模な村。集落は羽田神社鳥居前の北方(きたかた)・南方・西方の三地区(本村)と、北西部の六ッ木野(むっぎの)および南西部雪野山麓の平石(ひらいし)の計五地区から構成され、本村を境に南部が条里地割の残る水田地帯、北部が蒲生(がもう)野開拓地帯となっている。内堀(うちぼり)周辺には門田(かどた)・木戸前(きどまえ)・木戸内(きどのうち)・馬場(ばんば)などの字名が集中しており、この地域から鎌倉期の居館跡が発掘されている。中世後期には守護六角氏の家臣、土豪羽田氏が当地を中心に勢力をもったという。永禄九年(一五六六)の浅井長政軍が布施山(ふせやま)城へ出陣した際、「上羽田」の地は放火されたという(年未詳「北中郡人数相立次第」山中文書)。慶長六年(一六〇一)の高一千六九二石余(「伊達氏領地知行目録」伊達家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by