日本歴史地名大系 「上荒川村」の解説 上荒川村かみあらかわむら 福島県:いわき市旧平市地区上荒川村[現在地名]いわき市平上荒川(たいらかみあらかわ)・明治団地(めいじだんち)・自由(じゆう)ヶ丘(おか)草木(くさき)川上流部にあたり、北は谷川瀬(やがわせ)村、東は下荒川村、南は松久須根(まつくすね)村。永正年間(一五〇四―二一)頃と思われる年月日未詳の呑空書状(白土文書)に「上あら川のたきの寺禅立と申長老」「上あら川・こもた・松くすね三ケ所山田殿へ御渡候」「上荒川の替地、のそミにしたかつて、可預之由承候」などとみえる。文禄五年(一五九六)四月二三日の佐竹義憲充行状(飯野八幡宮文書)によれば「一参百九拾弐石九斗五升 上荒川村」が飯野式部大輔に宛行われている。 上荒川村かみあらかわむら 兵庫県:美嚢郡吉川町上荒川村[現在地名]吉川町上荒川門前(もんぜん)村の北に位置し、美嚢(みの)川支流の北谷(きただに)川上流の丘陵地に立地する。西は畑枝(はたえだ)村。慶長国絵図に上荒河村とみえる。領主の変遷は山上(やまのうえ)村に同じ。正保郷帳では田方二九八石余・畑方一〇石余。村高は幕末まで変わらない。文久三年(一八六三)の租率は定免で五ツ三分(「年貢勘定帳」上荒川区有文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by