天津村(読み)あまつむら

日本歴史地名大系 「天津村」の解説

天津村
あまつむら

[現在地名]天津小湊町天津

現天津小湊町の南端西寄りに位置する農・漁村清澄きよすみ山に発する二タ間ふたま川と神明しんめい川沿いの山間および東のまつはな付近から西のくずヶ崎の間の海岸線からなる。北は清澄村・坂本さかもと村、東は内浦うちうら村、西はひがし(現鴨川市)浜荻はまおぎ村、南は太平洋に面しており、海沿いを伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還が通る。また集落の西部から清澄山の急峻な山地を登り、清澄せいちよう寺・四方木よもぎ村を経て上総国久留里くるり(現君津市)方面に至る往還があったが、これは難所とされたため、江戸との物資輸送はもっぱら押送船によった。

〔中世〕

建治二年(一二七六)三月日の日蓮書状(日蓮聖人遺文)に「安房国のあまつ」とみえる。伊勢神宮は水上交通の拠点を中核に勢力の伸展を図ったことで知られるが、「神鳳鈔」にみえる白浜しらはま御厨は「東条御厨内也、号阿摩津御厨」と注記され、白浜御厨すなわち阿摩津あまつ御厨は当地に比定される。この点については、「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)八月一一日条に「安房東条」、文治元年(一一八五)一二月四日条に「安房国東条御厨」とみえ、初めもうけ大明神と称されていたという神明神社が当地に存在し、同社が現在も安房の伊勢神宮として尊崇を集めていることから、可能性は高いといえよう。当地の鎌倉後期の在地領主としては日蓮小松原法難で知られる工藤氏が存在し、文永元年(一二六四)一一月一一日に日蓮は小松原こまつばら(現鴨川市)東条景信に襲われ、工藤左近丞吉隆に難を救われるが、このとき吉隆は討死している(「日蓮聖人註画讃」など)。工藤氏は伊豆狩野氏の一族と伝えられ(鏡忍寺本「工藤氏系図」)、狩野氏が水上交通に長じた一族として伊豆半島周辺に勢力を広げている事実から、天津の地が房総半島太平洋岸の海上交通の拠点として早くから注目されてきたことも伺える。

文明一八年(一四八六)東国に下向した聖護院道興はその日記「廻国雑記」に清澄山に詣でた翌日「東のかたへ下山し、天津といへる所」で歌を詠んだ旨を記している。


天津村
あまつむら

[現在地名]伊丹市天津・伊丹一丁目

伊丹郷町の北側、猪名いな川と駄六だろく川に挟まれた低湿地にある。郷町の雲正うんじよう坂から集落への道を天津口とよんだ(「文化改正伊丹之図」伊丹市立博物館蔵)。北側の北河原きたがわら村枝郷であるが地元では独立村として扱われ、慶長国絵図、正保国絵図(京都府立総合資料館蔵)でも石高は一括されているものの同村と別に描かれ、慶長国絵図にアマツ村、正保国絵図に天津村とみえる。しかし元禄郷帳・天保郷帳とも村名は記載されない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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