上菅沢新田村(読み)かみすげさわしんでんむら

日本歴史地名大系 「上菅沢新田村」の解説

上菅沢新田村
かみすげさわしんでんむら

[現在地名]茅野市湖東こひがし 上菅沢

なか村の西南部にある。正保四年(一六四七)の開発で、親村は中村、見立役人は千野佐兵衛、草分人は理兵衛である(諏訪史)。当新田開発の由来は高島藩家老千野氏が一千二〇〇石の知行有賀あるが(現諏訪市)と中村を宛行われていたが、両村合わせて八〇〇石余であったことから、石高増加を図るため中村地籍内へ上菅沢と山口やまぐちの両新田を開発したといわれ、当時高島藩へお預けの流人松平忠輝の暮しが困難となり従臣を減らす必要上、その中から二軒、有賀村から二軒、南大塩みなみおおしお村から一軒(理兵衛)計五軒をこの地に入れて開発させた(「諏訪史蹟要項」湖東篇)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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