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高島藩 たかしまはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高島藩
たかしまはん

諏訪藩ともいう。江戸時代信濃国 (長野県) 諏訪地方を領有した藩。鎌倉幕府御家人諏訪太郎を祖とする諏訪氏がこの地を押えていたが,天文 11 (1542) 年に武田信玄によって滅ぼされた。天正 18 (90) 年以来日根野氏2万 8000石であったが,その一族が徳川家康によって上野 (群馬県) 総社1万 2000石に封じられ,慶長6 (1601) 年諏訪氏が旧領に復帰して2万 7000石となった。

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百科事典マイペディアの解説

高島藩【たかしまはん】

諏訪藩

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

たかしまはん【高島藩】

諏訪藩(すわはん)

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高島藩
たかしまはん

信濃(しなの)国(長野県)諏訪(すわ)郡と筑摩(ちくま)郡の一部を領有した藩。諏訪藩ともいう。諏訪上社の大祝(おおほうり)諏訪氏は戦国大名として成長したが、1542年(天文11)武田晴信(はるのぶ)(信玄(しんげん))に滅ぼされた。一族の大祝頼忠(よりただ)は、1582年(天正10)武田氏、織田氏の滅亡を機に旧領を回復して徳川家康に属し、90年家康の関東移封に伴い、武蔵(むさし)国に移った。かわって豊臣(とよとみ)秀吉の家来日根野高吉(ひねのたかよし)が諏訪の領主となり、高島城を築いた。その子吉明は1601年(慶長6)下野(しもつけ)国壬生(みぶ)に移された。かわって頼忠の子頼水(よりみず)が旧領諏訪に帰った。以後譜代(ふだい)大名として、忠恒(ただつね)、忠晴(ただはる)、忠虎(ただとら)、忠林(ただとき)、忠厚(ただあつ)、忠粛(ただかた)、忠恕(ただみち)、忠誠(ただまさ)、忠礼(ただあや)と10代続いて明治維新に至った。18世紀末忠厚のとき二之丸一件(御家騒動)が起こり、これに続いて寛政(かんせい)期(1789~1801)以降藩政の改革が行われた。幕末には寒天業や製糸マニュファクチュアも現れた。また忠誠は幕政に参画し老中を勤めた。初め諏訪郡2万7000石を領し、大坂の陣後、筑摩郡のうち5000石を加増されたが、1657年(明暦3)忠晴のとき、弟2家に2000石を分知し旗本とした。1871年(明治4)廃藩、高島県、筑摩県を経て、76年長野県に編入。[浅川清栄]
『『諏訪史』全4巻(1966・諏訪教育会)』

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