日本大百科全書(ニッポニカ) 「上行寺東遺跡」の意味・わかりやすい解説
上行寺東遺跡
じょうぎょうじひがしいせき
横浜市金沢区六浦(むつうら)の中世遺跡。1984年(昭和59)、マンション建設の事前調査で発見された。中世の鎌倉の重要な外港であった六浦の湊(みなと)を見下ろす凝灰岩の岩山にあり、四十数基の「やぐら」とよばれる中世の横穴墳墓群の存在は以前から知られていたが、発掘の結果、頂上部に阿弥陀(あみだ)とされる石窟仏(せっくつぶつ)を本尊とする「やぐら」があり、その前面にお堂とみられる建物と池とがつくられていたことが判明し、鎌倉~室町時代の寺院址(し)、墳墓址として注目された。従来、「やぐら」と建物とがセットになった例は発見されておらず、「やぐら」の研究史を書き換える重要な遺跡として関心を集めた。横浜市は、この遺跡について記した中世の文献がないことなどを理由に、珍しくない遺跡として破壊を決定したが、歴史研究者を中心に保存運動が盛り上がった。
[千々和到]
『上行寺東遺跡を考える会編・刊『中世の六浦と上行寺東遺跡』(1985)』