上野三橋町(読み)うえのみはしまち

日本歴史地名大系 「上野三橋町」の解説

上野三橋町
うえのみはしまち

[現在地名]台東区上野うえの四丁目・同六丁目

明治二年(一八六九)上野北大門うえのきただいもん町・上野元黒門うえのもとくろもん町の各東側一部、上野仁王うえのにおう門前町東側・上野家来うえのけらい屋敷東側・下谷二丁目之内瀬川したやにちようめのうちせがわ屋敷・黒門外上野役人くろもんそとうえのやくにん屋敷が合併して起立。うち下谷二丁目之内瀬川屋敷が同年中に分離した。東は下谷町一―二丁目、西は下谷広小路(上野広小路)を隔てて上野公園、南は上野広小路うえのひろこうじ町。当町一帯は古くは下谷村の内で、寛永二年(一六二五)東叡山寛永寺の創建により門前地になったというが(東京府志料)、正保江戸絵図には「御歩行衆」とあって武家地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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