上野山城跡(読み)うえのやまじようあと

日本歴史地名大系 「上野山城跡」の解説

上野山城跡
うえのやまじようあと

[現在地名]田辺市元町

会津あいづ川河口右岸(西岸)の標高約二六メートルの舌状台地上にある。台地を八王子はちおうじ山・上野山とよぶ(続風土記)。南麓を旧熊野街道中辺路が通り、道を隔てて江川えがわ浦に対する。江戸時代後期には「今畑となりて城跡の間数分明ならす」(同書)という状態で、遺構は確定されていない。

豊臣秀吉の紀州平定後、秀吉の弟秀長が紀州を領知、その臣杉若越後守が芳養はや泊山とまりやま城に居城して田辺を管していたが、天正一八年(一五九〇)当城に移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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