日本歴史地名大系 「上食満村」の解説 上食満村かみけまむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区上食満村[現在地名]尼崎市食満一―五丁目・同七丁目・田能(たのう)一―四丁目・猪名寺(いなでら)二丁目清水(しみず)村の東に位置し、北部を藻(も)川が流れ、川向いに飛地がある。猪名寺村からの大坂道が通る。藻川川床(もがわかわどこ)遺跡ほか弥生時代から古墳時代の遺跡が多く、食満群集墳の一つは現在旧上・中・下三食満村の共同墓地。荒木村重が籠城する有岡(ありおか)城(現伊丹市)攻めの配備を記録した中川氏御年譜付録(大分県竹田市立図書館蔵)のうち、天正六年(一五七八)一二月一一日の配備状況の箇所で塚口(つかぐち)郷に続いて「毛馬村 織田上野介 滝川左近 北畠信雄 武藤宗右衛門」とみえ、織田軍諸将の陣所の一つになっている。翌七年四月に行われた陣替えの際には、永岡兵部大輔(細川藤孝)以下の武将が新たに配備され、引続き有岡城包囲網の一角を占めている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by