上飯盛村(読み)かみいさがいむら

日本歴史地名大系 「上飯盛村」の解説

上飯盛村
かみいさがいむら

[現在地名]佐賀市本庄町(ほんじようまち)大字鹿子(かのこ)字上飯盛

北を鹿子村の正里(しようり)、西を高太郎(たかたろう)村、東を鹿子村、南を下飯盛村(現佐賀郡東与賀町)に囲まれた水田地域。慶長絵図に「飯盛」とある。もと竜造寺氏の勢力下にあったので水ヶ江竜造寺氏の流れをくむ多久家の所領であったが、慶長一六年(一六一一)三部上地によって本藩の蔵入地となる。

飯盛は竜造寺氏にとってはもともと譜代家臣の石井氏らの本拠地であったが、のち石井氏を川副(かわそえ)郷鹿江(かのえ)村(現佐賀郡川副町)に移した。村内の妙光山常照(じようしよう)院は日蓮宗の寺院で、永享元年(一四二九)石井忠国が建立し、元亀元年(一五七〇)一時村の南に移転し、天正八年(一五八〇)石井常延の逝去に際し現在地に復した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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