代表的な武士道論書。編著者は不詳であるが,山本常朝の思想的影響下に成立。成立年代も不詳であるが,1716年(享保1)完成とする写本もある。全11巻。巻一,二は,山本常朝が語った武士たる者の心構えを田代陣基が1710年(宝永7)以降に聞書きしたもの。巻三~九は歴代の鍋島藩主および鍋島武士の言行,巻十は他藩の武士の言行を記す。巻十一は補遺。《葉隠》のほか《葉隠聞書》《葉隠集》の異称があり,写本の系統のちがいを示す。書名は,主君への陰の奉公の強調を示すという説が強い。儒教的な士道論を批判し〈武士道と云は死ぬ事と見付たり〉という。奉公のみならずすべての場(例えばけんか)における捨身を強調し,捨身の姿勢が武士のしずかな強みとなり,また日常の威儀正しさとして現れるとする。世の中は夢幻であるという世界観が根底にある。《葉隠》禁書説があるが疑問。〈岩波文庫〉《日本思想大系》所収。
→武士道
執筆者:相良 亨
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸中期の教訓書、武士の修養書。正しくは『葉隠聞書(はがくれききがき)』、別名『鍋島(なべしま)論語』。書中の「武士道(ぶしどう)と云(いう)は、死ぬ事と見付(みつけ)たり」という一句はとくに有名。肥前(佐賀)鍋島氏の家臣山本神右衛門常朝(じんえもんつねとも)(1659―1719)が武士の生きざまについて語った談話をベースに、門人の田代陳基(たしろのぶもと)が歴代藩主や戦国武士たちの言行録や聞き書きから採録したものを加えて整理し、前後7年をかけて書冊にまとめたもの。常朝は、藩主光茂の御側(おそば)小姓に召され、御書物役に進んだが、1700年(元禄13)光茂の死にあい、追腹(おいばら)にかわるものとして出家した。しかし、元禄(げんろく)以降の鍋島武士の御国(おくに)ぶりが急速に失われていく現状をみて深く慨嘆し、1710年(宝永7)ついにこの物語を始めたという。儒教的な士道論からみれば、極端というべき尚武思想に貫かれているので、藩中でも禁書・奇書の取り扱いを受け、公開を禁じられた。明治中期以降、再認識され、広く一般にも読まれるようになった。
[渡邉一郎]
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一一巻
別称 葉隠聞書 山本常朝述・田代陳基記
成立 享保元年
写本 国会図書館ほか
解説 佐賀藩士への処世訓であるとともに藩政資料やその解説を含む。
活字本 校注葉隠(栗原荒野)ほか
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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「葉隠聞書」「鍋島論語」「肥前論語」とも。武士道の書。11巻。佐賀藩士山本常朝(つねとも)の隠棲後の談話を田代陣基(つらもと)が筆録して編纂した。1710年(宝永7)以降に成立。「武士道と云(いう)は,死ぬ事と見付たり」の一節で著名な本書は,元禄の太平に,かつて戦いに明け暮れた戦国期の主人と従者との人格的・情誼的な結合と,死を眼前にしつつ生きた戦闘者としての武士への郷愁にみちた想いを語った文芸作品。当時の武士の生きざまや死生観を伝える。「岩波文庫」「日本思想大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…士道も武士道も武士社会に武士の心組み,生き方として自覚されたものであり,武士の思想としての共通性をもつが,武士道は儒教的な士道に対して批判的な立場をとるものであり,士道が人倫の道の自覚を根本とするのに対して,武士道は死のいさぎよさ,死の覚悟を根本とする。
[士道論と武士道論]
近世の士道論を代表するのは山鹿素行であり,狭義の武士道論を代表するのは《葉隠》である。まず両者の死に対する姿勢をとり上げると,素行はつねに〈死を心にあて〉るべきだとし,《葉隠》は〈武士道と云は死ぬ事と見付けたり〉という。…
※「葉隠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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