村岡村(読み)むらおかむら

日本歴史地名大系 「村岡村」の解説

村岡村
むらおかむら

[現在地名]熊谷市村岡

大里郡上吉見かみよしみ領に所属(風土記稿)。村岳とも記す。荒川の沖積扇状地の南東端付近に位置し、北は荒川を境に熊谷宿。村内を通る熊谷川越道は中世には鎌倉街道、近世には大山阿夫利おおやまあふり神社(石尊宮、現神奈川県伊勢原市)への参詣者が通る石尊せきそん街道ともよばれた。「風土記稿」は「往昔村岡五郎良文五代孫権五郎忠通此所ニ住セシ故ヲ以此名アリ」と記し、平良文(村岡五郎)が居住したという相州鎌倉郡村岡郷(現同県藤沢市)の地名を移したとしている。中世の荒川は現在より北方を流れており、当地は対岸の石原いしはら地続きであったというが、流路はしばしば変わっていたらしい。建久二年(一一九一)三月一日の熊谷直実譲状(熊谷家文書)によれば、熊谷郷の四至のうち西の境界は「西限村岳境大道」とあり、当地は熊谷郷の西に隣接していたと考えられる。「法然上人絵伝」には、建永元年(一二〇六)八月に蓮生(熊谷直実)が翌年二月八日を期して往生することを公言して失敗した話が載るが、その際往生の予告として「武蔵国村岡の市に札を立させけり」とある。前記の「村岳境大道」の記載からして、鎌倉街道に沿う当地に市が成立していたのであろう。正安二年(一三〇〇)八月一七日の浄照和与状(熊谷家文書)には「武蔵国西熊谷郷用水村岡中堀」とあり、このとき浄照は熊谷直満と中堀をめぐる用水相論を和与している。

村岡村
むらおかむら

現利府町の利府・加瀬かせ森郷もりごう地区の平地部を中心に、北方現黒川郡大和たいわ町・大郷おおさと町の丘陵地にも及んでいたとみられる中世の村。利府・加瀬・森郷地区は文禄四年(一五九五)の検地では利府郷として一括されており(同年「検地名寄帳」仙台市博物館蔵)、慶長年間(一五九六―一六一五)三ヵ村に分離(利府本郷安永風土記)。利府郷は中世村岡村と称していたが、元亀元年(一五七〇)頃、留守政景が居所をここに移し、利府と改称したと伝える。

文永二年(一二六五)「宮城郡高用名内村々地頭職」が、留守家広から子息家政に譲られたが(三月二日「留守家広譲状」留守文書)、村々のなかに村岡村が含まれ、高用こうゆう名を構成する一村であったことが知られる。

村岡村
むらおかむら

[現在地名]千代川村村岡

別府べつぷ村から仁江戸にえど(現八千代町)を経て西へ向かう街道沿いに所在。集落は道の西側に並列し、道路は集落中ほどでクランク形になっている。地味肥沃な旧集落地を耕地とするため、江戸時代に現在地に移住させられたと伝えられる(悪疫の流行による移転ともいう)。旧集落は北方の丘陵地、字本田屋敷ほんでんやしきで、本田屋敷遺跡とよばれる古代住居遺跡があり、縄文早期以降の土器・石斧・石皿・発火器などが散在していた。

村岡村
むらおかむら

[現在地名]静岡市平野ひらの

安倍川上流右岸に位置し、対岸は平野村。安倍七騎に数えられた今川氏の家臣末高氏の屋敷があったという(駿河記)。永禄一〇年(一五六七)一〇月に安倍川中流やその支流中河内なかごうち川・西河内川流域の諸村を書上げた貫高注文写(宮本勉氏所蔵文書)に、末高権兵衛の名で「山屋敷村岡村」として七貫文が書上げられている。広域地名としての安部山あべやまに属すると思われる。領主は安西外あんざいそと新田と同じ。慶長九年(一六〇四)には高五石余、家数一は末高半左衛門という(大河内村誌)

村岡村
むらおかむら

[現在地名]三和村だい

鴨井かもい村の北にあり、東は大光寺だいこうじ村。天正六年(一五七八)一一月一〇日の上杉景勝知行宛行状(島津文書)によれば、村岡は御館の乱における勲功を賞し島津喜七郎に与えられた。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図には「嶋倉孫左衛門分居多分村岡 上」とみえ、本納二六二石二斗一升九合・縄高八一七石九斗一升七合、家一八軒・四八人とある。

正保国絵図では高一千二七石余。

村岡村
むらおかむら

[現在地名]和島村村岡

坂谷さかや村の南の丘陵にある。西は落水おちみず村、南は村田むらた村、東は高森たかもり村。村田村の枝郷。正保国絵図にはみえない。宝永八年(一七一一)の佐倉領郷村高辻帳(田辺六夫氏蔵)に高二五二石七斗余がみえるので、高田藩稲葉氏領として天明六年(一七八六)まで稲葉氏領(当時淀藩)が続き、脇野町わきのまち陣屋の支配を受けた。

村岡村
むらおかむら

[現在地名]笹神村村岡

北のじんヶ峰西麓に位置し、北東滝沢たきさわ村、西は熊堂くまどう村に接する。正保国絵図に三〇一石余とあり、村上藩領であった。寛文一三年(一六七三)の組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)では笹岡組に属し、貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳には高三〇八石九斗余とある。宝永四年(一七〇七)頃の元笹岡組御巡見御案内帳(渡辺家文書)によれば高四〇三石余・田畑反別三三町余、家数三七、男一四三・女一一七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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