下三柳村(読み)しもみつやなぎむら

日本歴史地名大系 「下三柳村」の解説

下三柳村
しもみつやなぎむら

[現在地名]米子両三柳りようみつやなぎ三本松さんぼんまつ一―四丁目・上後藤かみごとう八丁目・三旗町みはたちよう

三柳村の西にある。南をよね川が北西へ流れ、南西外浜境そとはまさかい往来が走る。三柳村(上三柳村)の枝郷で、明治二年(一八六九)領内限り分村としたとされる(藩史)。ただし下三柳の村名は近世前期から使われていた。当村の一部はのちに米子町人により開発された。また近世初期出雲国東部出身の高木氏により開発された地もある。高木作左衛門は寛永一六年(一六三九)三柳のうち鯨池くじらいけ辺りの開発に着手、開墾地は慶安三年(一六五〇)の改(高木家文書)では田六町二反余・畑二町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android